|
---What's Happened today?---
|
6月22日(水)−−−ハイデガー氏の遺言−−−
今日は、ややハマッているハイデガー氏の素敵な話を何とかまとめようっと思っています。まあ、このサイトで
書くよりも、「ハイデガー」とググッてもらえば、もっと素敵なサイトがあるのですが、そんな奴少ないっと思うので、
かる〜く紹介。
よく耳にする、「君達には無限の可能性がある!!」っていう励ましは、聞き慣れ過ぎて、かなり陳腐な文句と化してしまっていますが、
ハイデガー氏の一番のポイントは、このことだったのだろうっと思う。思考パターンとしては、「私は存在してる」ってどんなんなの?をスタートに、僕達のような、
物の存在を了解する存在と、物や道具のように、存在を了解される存在に分けてみる。
そうすると、存在を了解する僕らは、何?っていう疑問が沸いてきたりする。つまり、どのように自分の存在を理解するの?っというノリで。
そうすると、その存在の仕方がポイントになってくる、なざなら、僕らは、見た感じ明らかに存在していて、そこには疑問はないから。
ここで、ハイデガー氏は、「時間」が大切になってくるっと解くわけです。なざなら、この「存在する」というのは「今、ここの瞬間」として
話している訳で。でも、今だけが「存在」で、過去、未来は関係ないか?っというと、そうでもなく、どうしても、そこははずせない。なぜなら、
過去の延長線上に僕らは存在していて、そして、未来のために頑張ってるわけですから。となると、「今」は、この過去を背負いつつ、目指す未来への可能性を挑戦する場でもあるわけです。
っとなると、僕らは、「今、この瞬間」を通して、未来への希望を追求しつつ、「瞬間毎に可能性を追求する」という事で僕らは、今存在を表しているっとなるみたいです。
ハイデガー氏は、この可能性の中に死の可能性、自分が失敗する可能性も同じくらい、入れちゃうわけです。でも、
そのことによって、生はますます、強烈に自己の存在の可能性を追求するだろうっと言ってます。
まあ、こんな事を、ひたすら、部厚い本の中で複雑怪奇な言葉を使って、説明してくれます。読むなら、この存在論のプロセスを追う事の楽しさを
追求するのが、面白いだろうっと思いますが、時間が無いので、アメリカに持っていって暇な時に読むとします。実際、まだ、半分くらいしか読めてません(笑)
けれど、この手の存在論の結論って、近くは、近代マネージメントの師匠、ドラッカー氏の書に出てきているし、日本人だと、
僕の知っている限りで、黒澤明監督の「生きる」あたりのプロットとして、描かれている気がする。もちろん、どちらもハイデガーのマネしているなんて、
ことじゃなく、ここがたどり着くべきところなのかな?っと思ってしまうところ。
そんな訳で、みなさん、「今日、だりぃ〜」とか言っちゃ駄目ですよ!僕らが僕らの存在を証明するには、今ある可能性を最大限に追求してこそ、
僕が存在すると言えるっと厳しくも言えるわけですから。だって、時間はサクッと過ぎるものでは決してないとハイデガー氏。でも、まあ、疲れる生き方ですね。さすがドイツ人、ハイデガー氏。
えらい人は違うねっと感じざる得ない今日でした。
|
|
|